「当たり前の日々」

ごくごくありふれた、どこにでもある平凡な毎日。
ぼんやりと穏やかだけど、可もなく不可もない高校生活。

ボクの中の『当たり前の日々』

★ ★

その日、ボクはジャンケンの罰ゲームで一人残って掃除をする事になった。
小さな実習室の片付けだったとはいえ、一人でやるとなるといつもより大分時間が掛かってしまった。
全て片付け終わった頃には、もうすっかり日も傾き夕暮れ時になっていた。
夕日で赤く染め上げられた教室、暗くも無く明るくも無いぼんやりと曖昧な時間。
放課後の静かな廊下を一人歩くと自分の足音がやけに大きく響いた。

下駄箱に向かう途中、人気の無い教室に一組の男女の姿が目に入った。
ふと目をやると丁度、二人は正にキスシーンの最中だった。
最初は偶然とはいえ他人のキスシーンを見てしまったのが
変にこっちが恥ずかしいやら、照れくさいやらと焦ってしまったが…
ボクはキスをしていた男子生徒の方と不意に目が合ってしまった。

このぼんやりとした赤一色の世界の中でも一際、鮮烈な『紅』
煌々とした色味の紅い虚ろな瞳。

「あ、いや、その…」
一瞬、ボクは『しまった!?』と思い逃げ出そうとしたが。
「…お前、見たのか?」
思ったよりも低く落ち着いた声で彼はボクに問いかけた。
その質問に『何を?』と聞き返そうと思ったが
見ればキスされていた女生徒はグッタリと床に倒れてしまっている。
「の、覗くつもりは無かったんだ…」
正直、ボクだって『何も見なかった』事にしたかった。
「…はぁ…ヘマしたな」
彼は少し困った様子で呟くと深く溜息を付いていた。
「そ、それより、その子、大丈夫?早く保健室に―」
ボクとしても、とにかくこの状況を何とかしないといけないと思ったが…
「…しかたないか…」
その言葉はボクとしても有り難い、彼からの『免罪符』のハズなのに…
「え? な、なに?」
何故だが、彼は真直ぐにボクへ向かって近付いてくる。
「あ…その…」
何ともいえない圧迫感にボクは気圧されると気が付けば壁際に追い込まれていた。

――えっ…なんなんだ、この状況!?

床には倒れている女子生徒、目の前にはその原因らしき男。
そして、ボクは…この事件の唯一の『目撃者』だった。
息が掛かる程目の前に迫る、自分に良く似た『もう一人のボク』
ボクはただ、この身を支配する『恐怖』に息を呑んだ…

――だけど…

「悪いな、オレの事は忘れてくれ」
こんなに静かなのに、彼は聞き取れない程に小さく囁くと、
ボクと同じ深い紫の瞳が徐々に赤みを帯びて色味を変えた。
それは夕焼けの色に似た、溶け落ちた太陽の様な紅。

そこから意識はプツリとまるで電気のスイッチを切った様に
ボクの目の前は真っ暗な『闇』が支配していた。

★ ★

気がついたらボクは真っ白な保健室のベッドの上に寝かされていた。
誰かがボクをここまで連れてきてくれたらしい…
そして、同じ保健室であの教室での一件で倒れていた女の子が
今は楽しそうに保健室の先生とお喋りをしていた。
「あ、気がついた?」
ボクに気が付いたのか彼女は声をかけ気遣ってくれた。
「キミ、さっき教室で…」
まだ少し朦朧とする頭を抱えて、彼女に問いただそうとすると…
「貴方が教室で倒れていたから、保健の先生を呼んで連れてきて貰ったの」
おかしい…それじゃあ、まるで『逆』だ。
だってボクは『彼女が倒れた現場』を見たのだから。

――『悪いな、オレの事は忘れてくれ』

「そうだ!あの時、ボクと同じ学年の男の子いなかった?」
そうあの場所には『彼女』と『ボク』以外に『もう一人』確かに居たんだ。
上履きの色がボクと同じだったから、彼も多分同学年の一年生の筈だ。
「男の子…?」
彼女はボクの言葉を不思議そうに聞き返していたが、少し考え込んだ後に…
「そう、たしか…ムトウ君が…先生を呼んできてくれた?」
虚ろな記憶を辿るかの様にたどたどしく応えてくれた。
「ムトウ?」
ボクは『ムトウ』という自分と同じ苗字が出た事に驚き聞き返したが…
「ああ、一年の『武藤遊戯』だったかな」
保健室の先生は信じられない事をサラリと言ってのけていた。
「そういえば、お前もたしか『武藤』だったな」

――『武藤遊戯』

それは間違いなく『ボクの名前』だった。

「しかし、こうやって見るとまるで武藤が2人居るみたいだな」
『親戚か?』と保健室の先生は愉快そうに笑っていたけれど…

――なんだったんだ…一体…

ボクが『当たり前』だと思っていた日常に…
その『影』に潜んでいた『何か』をボクは見てしまったのかもしれない。

=================================
以下、「続き」は小説『当たり前の日々』本編をお楽しみ下さい。
=================================