よくある病の症例【花吐き病】


診察室で医者から告げられたのは、
よくある『不治の病』だった。

「ああ、これは『花吐き病』ですね」
「花吐き、病…?」
聞き覚えのある病名。
だが、それが自分の身に起きたとなれば別だ。
「【嘔吐中枢花被疾患】(おうとちゅうすうかひ しっかん)」
今度は聞き慣れない小難しい正式名称だが、
医者から手渡されたメモに書かれた漢字から意味は直ぐに理解出来た。

【嘔吐中枢花被疾患】
それは、つまり『花を吐く』病。

「特に多感な思春期に多い。いわゆる『恋わずらい』ですよ」
医者は患者を不安にさせない様穏やかに、勤めて明るい口調で病状を説明していた。
「一般的には『両思いになると完治する』といいますが、ようは『片想い』でなくなればいいんです」
この病を発病するきっかけは、信じられない事に『恋』なのだ。
「ただ成就の是非でなく…」
そして、完治する方法は『片想い』を終わらせる事のみ。
「後悔の無い様に、その『恋』をお大事にして下さい」
やっと一言アドバイスらしき物を付け加えると、医者は手際良くカルテを書き終えていた。

結局、待合室で数時間待たされた上『問診のみ』で診察は終わってしまった。
「――……『薬』も無しかよ」
オレは溜息混じりに馬鹿デカイだけだった総合病院を後にした。
つまり、オレは医者から体よく門前払いされたのだ……
【花吐き病】
現代医学では手の施しようの無い『ありふれた奇病』
「恋わずらい、か…」
確かに、心当たりはある。

――だが……

きっと気付いてはいけない『恋』だった。

★ ★ ★

冷え込む早朝、少し乾いた真冬の空気にオレは軽く咳き込みむせ返した。

「もう一人のボク、平気?」
「あ、ああ…すまない」
親しげに呼び掛けられる『もう一人のボク』という慣れ親しんだ愛称。
一時でも、この胸に巣食う病魔の息苦しさを忘れさせてくれる。

『もう一人のボク』
それは長年の『相棒』である武藤遊戯だけが呼ぶ、同姓同名であるオレへの愛称。
高校生にもなって幼い頃からの少々変わった愛称で呼び合う事をクラスメイトにからかわれもするが、
オレ達の間ではそれが『普通』であり今まで積み重ねた『日常』だった。

「もう一週間近くだね、その咳」
「そうだな……」
隣を歩く親友は少し心配そうにオレの顔を覗き込んでいた。
「どうだった?」
その問いかけは『昨日の病院の事』を聞いているのだろう。
「【花吐き病】だとさ」
オレは半ば言い捨てる様にありのままの『病名』を伝えた。
「【花吐き病】って、あの『花吐き病』?」

ありふれた奇病だ、名前や症状くらい誰だって知っている。
あいつは『病の原因』の方について聞きたそうな顔をしていた。

――だが……

「――ッ―ゴホッ!」
これではおちおち会話も続けられない。
「だ、大丈夫!?」
相棒は慌てて咳き込むオレの背中を擦ってくれていた。
「……はぁ……」
「今日は休んだ方がいいよ」
それは気の優しい『幼馴染』であり『友』としての、あいつの優しさ。
「家まで送るからさ」
その『優しさ』にいつも負けそうになる。

――だってそうだろ、オレが好きなのは……

「ああ、悪いな…相棒…」
オレは悟られぬように、平静を装った。

――他の誰でもない『お前』なのだから。

本当に『病』は人の心を弱らせる……

★ ★ ★

【花吐き病】
それは『恋わずらい』の一つの形。
なんてことはない、ボクだって知っている『よくある奇病』だった。

――あのもう一人のボクが『恋わずらい』かぁ〜

それは正直『意外』というよりも『想定外』

普段『恋愛』所か浮いた話すら余り乗ってこないもう一人のボクが、
よりにもよって重度の恋わずらいである
『花吐き病』だったなんて……
今までそんな素振りなどボクらに微塵も感じさせなかったからだ。

「どんな子なのかな〜?」
やっぱり似た者同士なしっかり者か優等生タイプかな?
それとも意外と正反対におっちょこちょいで世話の掛かる子だったりして。

――『恋わずらい』なんてしないで、告白すればいいのに。

もう一人のボクだったら、きっと面倒見の良い彼氏になれると思うな。

――昔から『お兄ちゃん』が板についてたよね。

物心付いた頃からキミはボクの隣に居た。

『家族』の様に一緒に居るのが当たり前で『兄弟』みたいに時にはケンカだってした。
気付いた時にはボクの一番の親友は『もう一人のボク』だった。

もしも、この恋が実ってキミに『恋人』が出来たら…
今までみたいに一緒に居る事はやっぱり少なくなるのかな?
それは彼の長年の『幼馴染』として『少しだけ、寂しいな』って、理不尽にも思ってしまった。

――我がままだな、ボク……

「明日のお見舞い、どうしよう…」
『恋』でふせる友人に何が一番の手土産か、ボクには皆目見当がつかずにいた。

★ ★ ★

翌日、あいつはわざわざ家まで見舞いに来てくれた。
しかも珍しく手土産を持ってだ、よほど今回の事を気遣ってくれたのだろう。

「お邪魔しま―…これは、スゴイね……」
部屋に入って直ぐ、相棒は『この惨状』に面食らっていた。
「本当に部屋中、花だらけだ」
辺り一面に散らばる花弁、ほころびかけた花の蕾がそこら中に散乱しているのだ。
『幻想的』と言えば聞こえはいいが、正直そんな風流に浸る余裕はオレには無かった。
「触らない方がいいぜ」
オレは足元に散らばる花々に不用意に触れようとする相棒を制したが……
「ゴホッ―クッ!ハァ…」
だが、今のオレには人の心配をしている余力すら無いらしい。
「大丈夫!?」
相棒は直ぐに咳き込むオレへと慌てて駆け寄ろうとした。
「あい、ぼう…移る…」
不明瞭な事の多い『花吐き病』だが
『吐かれた花に触れる事で伝染する』

――お前にだけはうつしたくない……

それなのに……
「どうでもいいよ、そんな事!!」
あいつはしっかりとオレの肩を持つと寄り添う様にベッドまで運んでくれた。

「早く治るといいね」
「そう、だな……」
本当に、心からそう思う。

――こんな病で『急かされる恋』なんて。

★ ★ ★

やっと咳が落ち着いた頃。
「キミってさ、やっぱり綺麗だよね…」
あいつはしみじみと妙な事を言い出していた。
「ほら、吐いた花まで綺麗だもん」
そう言うと相棒は傍に落ちていた花を一輪拾って見せた。
ただ無邪気に『綺麗』だと言われただけで、息をするのも苦しかった胸が高揚感に高まる。
「―ったく、こっちは死にそうなんだぜ」
それでもオレは精一杯『親友』として強がって見せた。
「ハハッ!だってボクは『外野』だし♪」
いつも以上に『くだけた会話』
それはあいつの優しさからくる『思い遣り』の形で…
この『生ぬるさ』が、今は『心地よさ』よりも『重苦しさ』になって胸を締め付ける。

――『違う』と言いたかった。

★ ★ ★

「もう一人のボク、何かして欲しい事ある?」
ベッドに入っている彼に何か出来る事がないかと聞いてみた。
「ん、ああ…」
大した事は出来ないけど、少しでもキミが楽になればと思った位で……

――だから……

ボクはこんな事になるとは思いもしなかった。

「相棒、これから言う事をよく聞いて欲しい」
先程までとは違う、怖い位に真剣な眼差しのキミ。
「もし無理だと思うなら断ってくれてかまわない」
でも、その『強さ』は威圧ではなく何か直向な決意を込めたモノだった。
「うん…いいよ」
だからボクは息を呑んで、もう一人のボクの『お願い』を聞く事にした。

僅かな沈黙が、ひどく長く思えた。

「オレはお前が好きだ」
「へ?」
いきなり何を言い出すかと思えば、こんな予想外な事は無い。
「お前がオレの『恋わずらい』なんだ」
立て続けに告げられる『真実』がボクには刺激が強過ぎて……
「うっ…えぇ!?」
ただただ、みっともない位うろたえる事しか出来なかった。

――きっと見るに見かねてだろうか……

「断ってくれてかまわないぜ」
『冗談』だって、こんな事言えやしない真面目なキミが……
「――えっ…でも…」
どうして、そんな顔してこんな事言うんだよ。
「お前に言うつもりも、ましては気付くつもりも無かった…」
先程の告白とは違う、もう一つのキミの心。
「オレはお前に告白して失恋出来れば、それで十分だ」
その清清しさがむしろ今まで胸に秘めた恋の苦さを物語っていた。
「し『失恋』って…」
ボクはまだ『告白』すら上手く受け止めきれないのに……
「熱で痛んだ所を切り離す『手術』みたいなものだろ」
もう一人のボクはひどく淡々と『終わり』へと向かっていた。
「オレが『患者』で、お前は『執刀医』」
それは本当にキミらしい……
「ただ、それだけだ」
ボクらの友情を守る為の『優しさ』だった。

――だからこそ……

「ゴメン、一日考えさせて!!」
彼の決意を遮る様に一言断るとボクは部屋から飛び出していた。

――待って、くれたっていいだろ……

ただ、ボクは全てを一人で終らせようとする、
キミを止めたかったんだ。

★ ★ ★

――彼の『恋わずらい』の原因は『ボク』だった。

「たしかに言えないよね…」
でもキミは勇気を示し『ボクが好きだ』と言ってくれた。
今さらながら思い出すとなんだか気恥ずかしいくもある。
同時にずっと『好きだ』と言えなくて『花吐き病』にすらなってしまったもう一人のボク。

ボクの所為では無い筈なのに……
それでもボクを想って苦しんでいたなら、ちゃんと向き合わなきゃいけない。

――『特別な意味』で好きかなんて、まだわからないよ……

『想い』なんて沢山あり過ぎて、それが余計にボクの『心』を惑わせる。

――ボクだって、キミを裏切りたくない……

向き合う『想い』の息苦しさに、ボクは小さく咳き込んだ。
その拍子にひらりと舞った一枚の花びらは、ただ静かに音もなく落ちていく。
零れた花の色はまだ薄く、微かに滲んだ紅色はひどく儚く見えた。

「ボク、キミの事が好きなんだ…」

こんな微かな『想い』さえも気付かせる。
この『病』のなんと残酷な事だろう……

――キミは『この想い』とどう向き合ったの?

そう想うとボクはまたむせる様に咳き込んでいた。

★ ★ ★

翌日、相棒は律儀にも宣言通りオレの元へとやって来た。

「あのさ…」
あんな事を言い出した昨日の今日だ。
互いに気まずくない訳が無い。
「あ、ああ…」
正直、どんな顔してあいつに会えばいいわからない。

「うつったみたい…」

――だから……

「ん?」
オレはこんな事になるとは思いもしなかった。
「【花吐き病】」
その一言が昨日の告白の『結果』を物語っていた。
「ボクもキミの事…好きみたい…」
相棒は恐る恐る言葉を選ぶと小さな声で告白してくれた。
「あ、でもキミがボクを好きで、ボクがキミを好きなら『両想い』のハズだろ?」
それはオレの『叶う筈もない恋』が実った瞬間だった。
「両片想いだからじゃないか?」
『恋』はただ気付いただけじゃ駄目なんだ……
それはオレ自身、嫌という程思い知らされた。
「えっ…ど、どうしたらいいんだろ?」
あいつは少し不安げな瞳でオレへと助けを求めていた。
「ん、そうだな…」
自分の気持ちを明確な形にする一つの方法。
「『告白』でも、するか?」
『形の無い想い』は『恋』を始める事すら出来ないのだから……
「い、今!?」
「ああ」
この状況に相棒は真っ赤な顔でオロオロとうろたえていた。
「ま、待ってよ!?ボク、そんな直ぐに思いつかないよ〜!」

一度、動き出した『想い』を止める術など無い。

畳み掛ける様で悪いが、それでもオレはこの『好き』を逃したくない。
「…相棒…」
諦めかけていた恋が熱を帯び、心に火が灯る。
「オレはお前でなければ駄目なんだ」
それは今回の『病』で良く分かった……
「オレをこの病から救ってくれないか」

――ただ、オレはこの願いだけは永遠にしたかった。

「ボ、ボクも!!キミに治して、貰いたい…」
こんな我が侭なオレに懸命に応えてくれるお前がただ愛おしい。
「悪いな、急で…」
お前の『好き』が嬉しくて、つい急かしそうになる。
「非常事態だし、しょうがないよ」
へらりと笑って見せる相棒の大らかさはいつもと同じで……
「ボクだってキミがずっと苦しそうなのは嫌だし」
本当にどうしようもない程、お前に甘えている。
「相棒のそういう所、いつも甘いな…」
こんな自分が『卑怯』だとさえ思えてしまう。
「なんだよ、せめて『優しい』って言えよ」
もしオレが本当に『卑怯者』なら、軽くそう言えてしまえたかもしれないな……
「病気にかこつけて、お前に無理強いしたくなかった」
この病は元はといえばオレの『臆病さ』が招いたモノだ。
「けど、お前の優しさが嬉しくて、つい甘えそうになる…」
徐々に衰弱していく心と体がより強く、狂おしく恋しい人を求めてしまう。
「段々、このまま病気なのも悪くないなって…」
病に侵され苦しい時ほど、この想いがやっと『恋』だと認められた。
『花吐き病』にかかったからこそ、オレはお前へ『片想い』が出来たんだ。
「ずっと片想いで居る気だったの?」

――もしも、この病にかからなければ……

「いや『片想い』じゃない『友情』だと思い込みたかった」
きっと『自分自身の正しさ』に心を押し込められていただろう。
「気付かずにいたら、オレは死ぬまで患っていたのかもしれないな…」
晴れる事の無い想いを秘め、この胸の疼きに永遠に悩まされながら……
「早期発見、早期治療」
「ん?」
ふと相棒はどこかで聞いた事のある標語を言い出していた。
「病気はそうやって治すのが一番なんだって」
得意げな顔でオレへとアドバイスするあいつの姿はどこか子供っぽくて。
「だから、早く分かって良かったね」
その真っ直ぐな素直さがお前の一番の長所だとオレは改めて思った。
「フッ…ああ、そうだな」
ありのままを受け入れてしまえる遊戯の強さに憧れる。
「でもボク達『男同士』なんだから、そっちの方が『病気』っぽいよね?」
「たしかにな」
世の中的に言えば十分『普通』ではないだろう。
「でも、こんな幸せな病ならオレはずっと患っていたいぜ」
恋する事は苦しくとも、止められない甘さも……
「フフ…そう、だね」
こんな考えもしなかった幸福をも運んで来たのだから。

★ ★ ★

人類が未だ解明出来ていない不思議な病

【花吐き病】

――でも……

ボクはもう不思議だとは思えない。
だって『恋』は元から『不治の病』なのだから……



>FIN

>BY・こはくもなか


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無料配布で作った同人誌「よくある病の症例【花吐き病】」のWEB版になります。

なお小説イラストはヒカリ。さんの作品になります。

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