【蛇の道は蛇】

第二話「食事とスパイス」

ふと、ボクが目を覚ますと傍に居た筈の『彼』の姿が消えていた。
つい昨夜まで焚き火の側で悠々ととぐろを巻いていたのに……
まだ朝霧も晴れ切っていないというのに、
彼は何処に行ってしまったのだろうか?
「おーい、もう一人のボク〜?」
返事が無いものかと辺りを見回しては見たが、
ボクは彼の尻尾の先すら見付けられなかった。

【もう一人のボク】
偶然とはいえ二人とも同じ『ユーギ』ではどうにも紛らわしい為に、
結局ボクは彼を『もう一人のボク』と呼ぶ事にした。
『もう一人の自分』
そう思った、いや願ってしまった『理由』を言ったら、
彼にはまた大いに笑われてしまったが……
昔、じーちゃんから聞いた話に「人馬一体」という言葉があった。
息が合った騎手と馬が巧みに走るその姿は、
まるで一つの体になったかのように見えるからだそうだ。
ボクらの場合は「人蛇一体」と言うべきかもしれないけど。
いつか彼とそういう特別な『友達』に、
一心同体の様な『パートナー』になれたらいいなと、
気付けばついボクは言葉にしてしまったのだ。
彼には「オレは乗り物には向かないぜ」と軽くあしらわれてしまったが……

――やっぱり、また変な事言っちゃったのかな〜…

「朝ご飯、一緒に食べよ〜」
「クリクリィ〜」
だが呼べども返事も無い相手はボクらがあらかた探し終えた頃に、
そう遠くない草むらの影からひょっこりと顔を覗かせていた。
「あ、もう一人のボク!」
こんな近くに居たのに全然気が付かなかったのだ、
この先も彼が本気で隠れたらボクらにはとても見付け出す事は出来ないだろう。
「どうした、何かあったのか?」
何食わぬ顔で現れたもう一人のボクのあっけらかんとした物言いの中には、
ボクらが探しに来た事などまるで含まれてはいなかったけど。
「なにかって……」
だが昨日振りの彼の姿は、ボクの記憶にある物とは違っていて……
「――っ!キミこそ、どうしたんだよ!?」
その両手は赤黒く変色した血糊でぬめり、
良く見れば身体のあちこちは乾いた血の痕で汚れていた。
「もう一人のボク、ケガしたの?」
ボクは直ぐに彼の手を取り、傷の状態を確かめようとしたが……
「ん?……ああ、食事をしただけだ」
もう一人のボクは食後の口元を拭き忘れた程度の扱いで、
両手の血糊を手で拭うと傷一つ無い片腕をボクに見せた。
まだ血で汚れてはいるがよく見れば肌に傷らしき物は無く、寧ろ表皮はうっすらと艶がある程だ。
とりあえず、彼に大きな怪我が無くて何よりだったけど……
「あ、うん……なら、いいよ……」
だれど、こんな『ボクの心配』が彼に届いて居ない事がボクには少し切なかった。
「悪いが、もう飯はいらないぜ」
彼から見ればボクらは食事を呼びに来ただけで……
「う、うん……」
特に『約束』もしていないのだ、あっさり断られたって、それはしょうがない事だけどさ。
「血を洗ってくる」
「直ぐに戻る」
彼は事務的にボクらに用件を伝え切ると食事の返り血を洗いに、
するすると水場へ向かって行ってしまった。

――そういえば、もう一人のボクと一緒にご飯食べた事無いな……

もう一人のボクは食べる物が違うからと、いつも一人で食事をしていた。
「皆で一緒に食べた方が美味しいのにな……」
折角『友達』になれたのに、別々の食事なのは少し寂しく味気なかった。
彼なりに他種族であるボクへ気を遣ってくれているのだとわかっている……
だけど、そういう自分とは違う生き方を含めて、
ボクは魔物を『彼ら』をもっと知りたいからこの旅に出たんだ。
「よし!だったらボクからご馳走すればいいんだ!!」
もう一人のボクは何が好きで何が嫌いか。
それすらもわからないなら、まずはボクが好きな物を彼に振舞おう。
まあ、手持ちの材料で振舞える物なんて限度があるけど。
そうと決まればとボクはクリボーを急かす様に、
すっかり食べ損ねていた朝食を取りにキャンプへ戻る事にした。

★ ★ ★

川の流れは穏やかで澄んだ水面は朝日で少し眩しく煌いていた。
水は冷たく浸かる気にはなれなかったが、オレは手早く返り血を洗い流す事にした。
先程、平らげた獲物の血と油脂で滑る両手を丹念に洗い流すとオレは着ていた服を脱ぎ払った。
黒い衣服はその色で目立たなくはしていたが、
水に浸すと赤茶色の血煙で澄んだ川を薄く濁らせていた。
血の匂いが残れば、次の『狩り』に支障が出る。
だからこそ、この服は血潮の色を嫌い、匂いを寄せ付けない様丹念に作った特別製だ。
軽く水にさらす程度で繊維に染み付いた血を洗い出し、その痕跡すら残さない。
洗い終わった服を固く絞り水気を飛ばすと湿り気がある程度までに乾いていた。
湿った衣服と少し冷めた身体を温める為にも、オレは日向で身体を休める事にした。
ユーギに『直ぐに戻る』と言った手前、余りのんびりはしてられないか……

――しかし、たかだか血を見ただけであれでは、オレの食事を知った日には卒倒しかねないな。

オレの食事は、あいつとは違う。
調理された『料理』としての肉も嫌ではないが、やはり獲物をこの手で引き裂き、
その血肉を捕食する事は『狩猟者』として『蛇』としての本能的な歓喜がそこにはあるからだ。
オレにとっての『食事』は、腹を満たす以上に心を満たす『娯楽』なのだ。
既に『調理された料理』は『死んだ獲物』と同じ。
つまり、腹は膨れても心が物足りない退屈な食事だった。
――だから、オレには特に『必要無い物』の筈だった……

★ ★ ★

日が傾き始めた頃、ユーギはいつも通り自分達の食事の用意をはじめていた。
クリボーが小さな手で器用にも薪を組み、火を焚く一方、
ナイフを握るユーギはというと相変わらず少々危なっかしい手付きで食材を切り分けていた。
オレは今朝の食事からまだ空腹には遠かったのもあり、
この間に軽く仮眠でも取るつもりでいたが……

「もう一人のボク、一緒にスープ食べよう!」
もう何度目か数えるのも飽きてきた、ユーギからの食事の誘い。
「別にオレは――」
だが今日は『必要無い』という前に、スープの入った皿を意気良いよく渡されてしまった。
「温かい内に食べて、食べて!」
オレに餌付けして、何がそんなに楽しいのか……
「はぁ……わかった」
あいつが妙に期待に満ちた目でオレを見つめる物だから、大人しくその期待に応える事にした。
「お、美味しい?」
まだ一口二口しか口を付けていないのに、
ユーギはそわそわと落ち着かない様子でオレの感想を急かしていた。
「ああ、悪くないぜ…」
特に嘘は吐いてはいない。
「でも、今一つだな」
まあ、端から嘘を吐く気も無かったが。
「あ、うん…やっぱり、そう思うよね」
オレの率直な感想にユーギは見るからにションボリと肩を落としてうなだれていた。
「ボク、旅するまで料理した事無かったから、やっぱりママみたいにはいかないな」
あいつは観念したかのように、自分の料理の腕の無さを苦笑していた。
「うーん、スープに入っていた材料は一緒のハズなのになぁ〜」
ユーギは不思議そうに皿の中のスープと
多分記憶にある『母の味』を比べようとしていたが、どうにも要領を得ないようだ。

オレは改めて皿に注がれた、この質素なスープの具材と味付けを確かめてみた。
ゴロゴロと不揃いに切られた野菜とぶつ切りにされた燻製肉は、
シンプルな塩味でまとめられ良く煮えてもいる。
燻製肉独特の風味も野菜の素朴な甘さと良く合っていて悪くない。

――ああ、これは……

「このスープ、具材と塩しか入って無いんだな」
もう一人のボクは物珍しい物を見たかの様に、
この少々物足りないスープの味付けを言い当てていた。
「え?スープって、そう作るんじゃないの?」
ボクからしてみれば『いつもの味』だったけど、どうやら彼にとってはそうでは無いらしい。
「鍋貸してみろ」
ボクは促されるままに、まだ大分スープの残っている鍋をもう一人のボクへと渡した。
彼は腰鞄から数種類の小さな袋を取り出すと、
何かの粉の様な物をパラパラと鍋の中へと入れていた。
「具材と塩だけだから味にしまりが無かったんだな」
もう一人のボクは器用にも尻尾でおたまを持つと鍋をさっとかき混ぜ、
味を確認すると仕上げにもう一度鍋に火に掛けた。
少し冷めたスープを湯気が出るまで温め直すと、
彼はその出来栄えにやっと納得出来た様だった。
「ほら、飲んでみろよ」
彼は先ほど味付けし直した鍋からボクの皿へとスープをよそってくれた。
「う、うん……」
渡されたスープは見た目に大して変わってはいなかったが、
ボクはおずおずと改めて彼が味付けしたスープに口を付けた。
「お、美味しい……」
それは信じられない事に『美味しかった』しかも『とても』だ。
彼の料理の腕を疑っていたワケではないが、
元はボクが作った物だったなんて信じられない程の変り様だった。
「それに……なんだか良い匂い」
ほんのりとスープの湯気から香る爽やかな風味は肉の臭みを和らげ、
野菜の甘さをより鮮明に感じさせてくれた。
「だろ、その風味が香辛料の特徴だ」
もう一人のボクは鍋に加えた粉末の正体をボクにも分かり易く解説してくれた。
それは植物の種子や葉を乾燥させ時に粉状にした、
【ハーブ】や【スパイス】と呼ばれる【香辛料】の数々だった。

――まさか、こんな風に使う事になるとはな……

ハーブやスパイスは【魔術】や【薬】に置いても、重複して使う薬草・香草の類が多い。
本来、オレ自身は調理用に持ち歩いていた訳では無かったが『こういう使い方』の方が一般的だ。
まあ、オレの味付けではユーギの思う『母の味』と違ってはいるだろう。
食事中、ユーギは興味深そうにオレの話聞きながら、
途中いそいそとクリボーと取り合う様にスープのおかわりをしていたが。
それは『騒がしい』とまではいかないが、実に『賑やか』な食事だった。

狩りの『獲物』ではない『料理』を食べて満足感を感じたのは初めてだった。
死に逝く獲物の血潮の熱さとは違う、火で温められた食事の熱。
いつもの『狩り』では味わえない、緩やかで穏やかな充足感がそこにはあった。

――与えられた食事を食べるなんて、狩りが出来なかった子供の頃以来だな……

不規則に揺れる焚き火のちらつく明りとじんわりとした炎の熱。
オレはこういう食事の過ごし方も、たまには面白いなと、ぼんやりとした頭でそう思った。

★ ★ ★

ゆっくりと食休みも済ませ、ボクらはガチャガチャと夕食の後片付けをしていたが……
「ユーギ」
彼は唐突にボクの名を呼ぶと、ボクへ向かって何か投げて渡してきた。
「なに、これ?」
ボクが何とか無事に受け取ったのは、ガラス製の小さな瓶だった。
「ミックス・スパイス」
「みっくす・すぱいす?」
ガラス瓶の中身を見ると何種類かの小さな種子の様な物が入っていた。
「肉でも魚でも野菜でも塩と一緒に振り掛ければ、今までと大分味が違うぜ」
この瓶に入っているのはさっきもう一人のボクが教えてくれた、多分『香辛料』なのだろう。
だけど、ボクにとって驚くべき所は瓶の中身ではなく、
それをくれたのがもう一人のボクであるという事の方が大きかった。
「貰っていいの?」
ボクはおずおずとビンを投げてよこした、もう一人のボクに問い直してみたが……
「塩味だけじゃ、オレが飽きるからな……」
彼から帰ってきた言葉はこれまた意外な内容だった。
「また一緒にご飯食べてくれるんだ?」
ボクがご馳走するつもりが、むしろキミにご馳走を作ってもらったのに。
「お前の料理がスパイス一つで何処まで上達するか確かめたいからな」
一応、ボクは彼に『期待されている』と思っても良いのだろうか?
でも食べる物でもう一人のボクに信頼して貰えたのは、なんだか凄く嬉しかった。
「うん、次はもっと美味しくするよ!」
だから、ついボクは力一杯の返事をしてしまっていたが。
「卵は……」
「ん?」
ふと、つぶやいた彼の言葉は……
「調理した奴の方が好きだぜ、前に町で食べて気に入った」
多分、珍しく言葉にしてくれた『キミ自身の話』だった。

「それって目玉焼き?それともゆで卵?」
ユーギはオレのこんな話に何故か目を輝かして食い付いていた。
「焼いた【オムレツ】だったかな?アレならオレもたまに作る」
こいつと食事の話をする事になるとは思ってもいなかったな……
「いいなぁ〜オムレツ……」
ユーギはというと想像の中のオムレツにいたく恋しそうな顔をしていたが。

――まったく、分かり易い奴。

「ご馳走になった礼だ、今度オレが作ってやる」
もう一人のボクはなんだか少し笑いながら、次の食事の提案をしてくれた。
「本当!?」
その思っても見なかった『次』に、ボクはすぐさま駆け寄ってしまった。
「材料は一緒に探せよ」
浮き足立っているボクへ釘を挿す様に言う、もう一人のボクだけど……
「うん!キミの料理楽しみだなぁ〜」
キミの言う『条件』だって、今のボクからしてみれば楽しみに思えてしまう。
「どんな味付けでも文句言うなよ」
彼の料理の腕は信頼しているが、
味の好みに付いていけるかは、ちょっとだけ自信が無かった。
「うっ……すごく、辛くないのだったら」
だけど、そんなボクの弱気を見透かしたように、もう一人のボクはといえば……
「それは……オレの気分次第だな」
ほのかに刺激のある含みを持たせた笑みで、ボクの事をからかっていたが。
「えぇ〜ご馳走してくれるんだろ〜」
もしかして、次はボクが味見の実験台にされてしまうのだろうか?

★ ★ ★

きっと、ほんの少しの些細な変化。
今まで見慣れていたモノが、ボクの知らない別の姿へ変わっていく……
そんな、不思議な『スパイスの魔法』

それはまるで『キミ』の様だった。


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>BY・こはくもなか


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無料配布で作った同人誌【蛇の道は蛇】第二話のWEB版になります。

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