【命の芳香】


――それは眩しく美しかった…

熱く眩しい日の光に、ボクは見惚れ目を離すことが出来なかった。
「そんなに砂になりたいのか?」
背後から聞こえてきたのは不機嫌な声音。
「ちょっとだけじゃないか…」
窓辺から振り返ると彼は呆れた目でボクを一瞥していた。
「今日も食事を取らなかったな」
伏せた目線の先にあるのは、ボクの苦悩の残骸。
「……ごめん」
シンプルな花瓶には瑞々しい輝きを湛える一輪の花。
彼は一日一輪。ボクに『食事』として庭園の花を分け与えてくれた。
それも毎日、花の『色』も『形』も細かな『品種』さえも違っていた。
「もう三日だ」
そんな施しをしてくれた彼に、ボクが返した事は『無為な断食』だった。
「『花』は好きだよ…」
【吸血鬼】であるボクがその芳しい精気に惹かれないワケが無い。

――『大好き』だから、嫌なんだ…

「強情な奴…」
徐にシャツのボタンを外し、現れた彼の白い首筋に残るのはボクの『罪』
傷痕の上に幾重にも重なり合ったまだ真新しい噛み跡は、
時を重ね複雑に絡み合い、まるで一つの模様の様になっていた。
「飲むんだ」
それは限りなく『命令』に等しい『忠告』
「…い、嫌だよ―」
どんなに餓えていても、ボクは『血』を飲みたくないんだ。
「そうか…」
彼はその言葉に納得すると腰に巻いた皮製のシザーホルダーから
一本の使い込まれた古びた剪定バサミを取り出した。
その鋭利な輝きは今も手入れが行き届いている事を示していた。
「や、止めてよ!」
ボクは彼を止め様と咎めたが……
二つに別たれたハサミの刃が舐める様に皮膚を滑る。
すると指先にまだ小さな蕾の様な紅い血の華が芽吹いた。
「浅く皮膚を割いただけだ、たいした事ないぜ」
さも平然と『加減している』と言うキミの『いつもの行動』が
ボクには今も理解出来ない。
「でも、血が出てるよ…」
お願いだから、ボクの為に傷付かないでよ……
「だから、切った」
目的を果たす為に平気で自分の身を危険にさらす彼の姿は、
ボクよりもある種『異常』だった。
「もう一人のボク…」
でも、その歪な姿にボクは『自分』を重ねているのかも知れない。
「んっ――」
無理矢理、口元に塗りたくられた真新しい血の感触。
「思い出したか?」
その『問い』に言葉よりも先に渇いた身体が疼き応えていた。

――足りないだ……

空腹の切なさが後押しする様に『欲望』が熱くざわつく……
「――はっ…ぁ、この、匂い…」
ボクは唇に付いた血の残り香を無意識に舌で舐め取った。

――渇くんだ、ボクの『命』が……

焦がれる様に彼の手を取り、
その血の滲む指先へ餓えで震える唇を触れようとした。
「焦るなよ」
静かにたしなめる『言葉』がボクを遮った。
「――ッ!?あっ……」
寸前の所で離され取り上げられたキミの手をボクは名残惜しく見つめていた。
「行儀が悪いぜ」
彼は薄い笑みを浮かべるとそっとボクから遠ざかり、
落ち着いた物腰でリビングのソファへ優雅に腰掛けた。
微かな手招きに誘われ、無防備にさらけ出された肌に惑わされる。
ボクの抗い切れない『本能』を彼は見抜き煽っていく……
「フッ…良い子だ」
その合図でボクの脆い『枷』は外された。
熱い脈動の伝わる首筋を唇で触れる心地良い感触。

――ボクはこんな弱く『浅ましい自分』が嫌だった。

★ ★ ★

あいつへの献血行為後、特有のまどろみにも似た気だるさ。

――また随分、がっついたな……

遊戯はいつも食事の後に気を失う。
それは抗い続けた『渇き』からの開放感。
あいつは安堵したかの様にオレの胸で眠りに落ちた。
オレはいまだ腕の中で眠る遊戯の口元に残る渇いた血の跡を指で拭った。

――『痩せ我慢』もここまで来るとある種『立派』だぜ。

この奇妙な『共同生活』…
いや『共生関係』になってどれ位経つだろう。
ふと窓を見ると、外はもう当に日も沈み薄闇が辺りを包んでいた。

――その闇の向こうに居たのは『もう一人のオレ』だった。

それは過去になり始めた『遊戯との出会い』の記憶。

ガラスに映り込んだ自分にしては、それは他人めいた似姿をしていた。
オレは闇に紛れた『影』を追う様に庭先へと降り立った。
今日も庭園の木々は静寂を包み込み、街の喧騒を遠ざける。
夜風に吹かれ、触れ合う草木の音が微かに耳に心地良い。
その調和を乱す微かな呻き声『ノイズ』は確かに其処に居た。
「誰だ?」
オレはまだ見通せぬ暗闇の向こうへ言葉を投げた。
「こんばんは」
そこに居たのは『奇妙な侵入者』だった。
「ゴメン、少しだけ…此処に居てもいいかな?」
それは緩やかな『死』を前に枯れかけた命の声。
「断る。此処はオレの『領域』だ」
『見知らぬ者』を此処に置く『理由』など無かった。
「じゃあ、汚したら…ダメだよね…」
そいつは不自然な形で垂れ下がる片腕を必死に押さえ隠していた。
その腕は枯れ切った古木よりもか細く、
崩れかけた土塊の皮膚は『血』の代わりに『砂』を流していた。
「あんた『人間』じゃ無いな」
姿こそ『人』の形ではあったが、
その中身はとても『人』とはかけ離れていた。
「キミはボクが怖くないの?」
そう問う、まだあどけない口元からは微かに鋭い犬歯を覗かせていた。
多分、伝承にある【吸血鬼】の類だろう。
「別に…人の形をした『バケモノ』なら見慣れている」
『バケモノ』ならこの街の何処にでも居る。
「あんまり綺麗な庭だったから…」
悲惨な状態を抱えた筈の身体には、
似つかわしくない夢見心地な瞳。
「『此処で死ねたら素敵だろうな』って思ったんだ」
死に場所を求め、此処に来たのなら良いセンスをしている。
「そうか…」
奇妙な一致だ。
オレがお前でも『此処で死にたい』と思うだろう。
「『土』はいつか『花』の一部になれるのかな?」
刻々と砂へと崩れ行く身体を仰向けに横たえ。
そいつは直ぐ傍らまで近付いて行くオレを見上げていた。
「悪いな、オレは出処の分からないモノは使わない」
この庭に『必要なモノ』はオレが選び、決める事だ。

――ボクの図々しい頼み事は、悠然たる庭園の番人に却下されてしまった。

「そっか…残念、だな……」
ボクは渇いた笑い声で『随分と手酷く振られてしまった』と思った。
でも、ただ目の前のボクを恐れず憐れまないでくれた。

――この人だったら……

例え、ボクが痛みから惨めな抗いをしても
『ボクの願い』を叶えてくれる気がしたんだ。
身体は形を保つ事さえ出来ずに緩やかな死を伴う悲鳴を上げる。
「嫌だ、よ…」
どうして『生きている』だけで、こんなに痛いのだろう?
誰も傷付けたくないんだ、もう傷付きたくないんだ。

――でも、ボクは……

「――死にたく…ない」
『苦痛』がボクを追い詰めていく……

――痛いのは嫌だ、死ぬのは怖い。

「……たす、けて…」
言いたくない『本音』が溢れ出してしまう。

――もう一人ぼっちは嫌だ……

混濁するボクの意識がこの世界から遠退いていく。
傍らに立つ『見届け人』の声すら、もうボクの耳は聞き取れない。
でも、涙と傷みで霞む視界に映るキミの唇は何かを刻んでいた。

――…どうして?

醜く乾いた唇に注がれたのは命を潤す甘露な雫。
それは高貴な薔薇の香りに似ていた……

★ ★ ★

陽光の溢れる明るさとは違う、穏やかな月光に照らされた美しい彼の領域。
その庭園の花々は王に寵愛された姫の如く、どれも手入れが良く行き届いていた。

「ボクも『花』だったら良かったな」
それは素直な『憧れ』と屈折した自分への『蔑み』からくる言葉だった。
「そうしたら、奪わなくても生きていけるのに…」
でも、同時にボクのささやかなで確かな『願い』でもあった。
「与えられたモノだけで生きていくつもりか?」
そんなボクの『考えの甘さ』を彼は冷静に指摘していた。
「キミの、この庭に居られるなら」
何故ボクが『此処に居る事』を許されたのか、今でも不思議に思う。
だからこそ、こんな言い方でしかキミに聞けなかったのかもしれない……
きっとボクは『キミ』を知りたかったんだ。
「それは『優しさ』じゃないぜ」
その『言葉』にある『本質』もわからずに……

――次の瞬間……

彼に突き飛ばされるとボクは仰向けになる形で花壇に転がされた。
柔らかな花々が受け止めてくれたかの様に不思議と痛くは無かった。
「お前はただ『生きる』事に『命』から逃げ出しているだけだ」
畳み掛ける様に浴びせ掛けられる、眼光よりも鋭い『言葉』の刃。
逃げ回るボクに彼は『お前も同罪だろ』と蔑む様にボクを見下ろしていた。
「…わかってるよ……」
ボクの言っている事はただの我が侭で、
誰かを傷付けるくらいならとずっと逃げてばかりな弱虫な事くらい。

――でも、ここまでハッキリ言われたのはキミが初めてだよ。

それもボクが彼を『信じられた理由』の一つだったね……
「それでも…」
だから後に続いた『キミの想い』なんて、ボクは考えた事も無かった。

――ただ思った事を言っただけだった。

「オレはそんなお前の『甘さ』が愛しい…」
揚々と人が人を喰らう世の中で、
オレはお前の様な『吸血鬼』が一人位居たって良いと思えた。
『想い』を明確な『言葉』にした事に後悔は無い。
ただ同時に『オレらしくない』とも思うが……

「もう一人の…ボク…」
ボクはずっとキミに呆れられているモノだと思っていた。
「お前が奪えないなら、オレを使えばいい」
淡々と話すキミの口振りに迷いなど無かった。
「オレはお前の『もう一人』なんだろ」
それはまるで『自分』の事の様に当然で……

――だからこそ『いけない』と思った。

「でもっ――」
ボクは弱いから、きっと『キミの強さ』に甘えてしまう……

それなのに彼はボクの言い訳を切り捨てる様に、
シザーケースから愛用の剪定ハサミを取り出した。

――そして……

今、正に咲き誇りその身に宿した生命の輝きを
存分に放っていた花々を一本一本、丁寧に選定し摘み取っていた。
「オレが育て、そして…」
彼は先程までの『慈しみ』に比べると、
少々粗雑に地面に横たわるボクの方へと花達を投げ寄こした。
「もっとも美しい時に摘み取った最高の『命』だ」
ボクの上へ恵みの雨の様に花弁を散らしながら落下する、摘まれた命。
「喰えるな」
それは含みも拒否権も無い、真っ直ぐな言葉だった。
「ボクはキミの大事なモノまで奪いたくない」
キミの『血』もこの場所に咲く『命』も……
ボクが貰う、いや『奪う』権利なんて無いよ。
「遊戯」
彼にたった一度だけ聞かれた自分の名前。
初めて、ちゃんと呼ばれた気がする……
「オレの庭に居たいなら、枯れる事は許さない」
それは『キミに望まれている』とボクは自惚れていいのだろうか?

――いや、違う。

「もし『華』になりたいなら、その『命』を咲かせろ」
キミは『ボクの気持ち』を見抜き、あえて解らせているんだ。
ボクの『弱さ』に苛立ちながら、それでもボクの『甘さ』を赦してくれた。

――どうして、分からなかったのだろう……

あの時、キミは見ず知らずの『命』にただ『枯れるな』と言ったんだ。
「――うん…」
ボクは決意を込めて胸の上に置かれた一輪の花を手に取った。
「頂きます」
そっとしなやかな花弁をボクは唇へと運んだ。
彼が愛した花達へ、ボクが贈る『死の接吻』

――その花は不思議と『キミの味』に似ていた……

あのボクを虜にする、気高く咲き誇る『命』の芳香。


>END


BY・こはくもなか


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ツイッターにて原案者プロットから各自小説を書いてみるという企画でした★

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「シロナツさんの設定概要」

初代あいぼ吸血鬼→お日様好きだけど長く浸ってると体が砂になってくる 多少は平気
魔王様一般人→あいぼのこと好き ・あいぼは血をもらうの嫌がる
花から精気をもらって生きられる ・でも花から精気もらうのも嫌がる
魔王様が花をバッサーとあいぼに被せて説得する。

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普段、自分では思いつかない設定だったので、
とても新鮮な気持ちで書くことが出来ました♪

シロナツ様、ありがとう御座いました!

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