「一番後ろの魔王さま」

このクラスには誰が言い出したか『魔王』と呼ばれる男が居る。
勿論ただの『あだ名』だが、
実際はテレビゲームに出てくる魔王の方が幾分かだって愛想がある。
今日もクラスを見渡せる一番後ろの席に座り、ただ静かに重苦しく存在していた。

遠目からでも判る癖のある髪質。
それ以上に人目を惹く、鋭さと陰りすら含んだ真紅の瞳。
小柄ではあるが男から見ても整った麗しいお顔立ち。
入学当時はタチの悪い上級生やら色気づいた女子共に目を付けられていたが、
奴に挑んだ男も女共もことごとく完膚なきまでに打ちのめされていた。
今『武藤』にちょっかいを掛ける挑戦者は、このオレ『城之内克也』くらいだ。

「―ったく『園芸』の本だぁ〜…お前、ジジ臭い本読んでんな」
オレは武藤が目を落としていた本を強引にさっと取り上げた。
見上げる目線が追うのは『オレ』では無く『本』の方なのがいかにも奴らしい。
まあ体格で明らかに勝っているオレから、そう易々とあいつだって取り返せないだろうと、
オレは半ばいい気になり高を括っていた。
「―…ハァ……」
深い溜息に混じる、哀れみにも似た蔑みの色。
普段、無表情な癖にそういう所だけ明け透けなのが腹立つぜ。
やっと重い腰を椅子から持ち上げると、
あの野郎は徐にオレの膝裏目掛けておよそ手加減の無い下段回し蹴りを放ったのだ。
別段、オレにとってさほど『痛く無い攻撃』だ。
だが『膝カックン』の要領で崩れ落ちたオレの手から、
あの野郎は悠々と自分の本を奪い返していた。
頭上から覆い被さる黒い影が妙に大きく見えやがる……
「気は済んだかい、城之内くん」
そういう奴のスカした面と淡々とした抑揚の無い声から聞こえる
【城之内くん】なんて言う愛嬌ある呼び方が妙に癪に障った。
オレは目の前に丁度いい高さにあった、あいつの腰に巻かれたシザーバックに手を伸ばした。

――次の瞬間……

眼球を捕らえる様に二つの鋭利な切っ先が、オレの目の前に立ちはだかった。
最初はナイフかとも思ったが、どうやらそれは『妙な形をしたハサミ』の様だ。
「触るな…」
こいつにしては珍しく感情らしきモノをはらんだ声。
但し、それはオレに対する明確な『怒り』だった。
「な、なにマジになって――」
オレは咄嗟に奴から距離を取り、改めて『言葉』の向こうに在るあいつの目を見た。

――『目がヤバイ奴』って、マジでいるんだな。

普段、オレ達に対する『拒絶』なんて生易しいモノでは無い。
目の前の不愉快な異物を『排除』する為の構えだった。
初手は過激だが、ただの『威嚇』だ。
今、目を逸らしたら負ける。

――だからこそ……

オレはすぐさま奴から目を逸らした。

――茶化し程度で『殺り合う』なんて、やってられないぜ。

さっきまで賑わっていた教室が凍て付いたかの様な僅かな沈黙。
あいつは構えた刃を鞘へ納めると、辺りに散らばった自分の荷物をまとめ直し、
何事も無かった様に教室から一人出て行った。
「悪ノリし過ぎたんじゃね?」
あいつが居なくなったのを確認しへたれこんでいるオレに、
ダチの本田は『ほどほどにな』と声を掛けた。
「ハハッ…それで済めば、いいけどな」
オレは冗談交じりにあながち外れないかも知れない『報復』を予想すると、
未だ渇いた笑い声しか出せなかった。

オレはきっと奴の内側へと続く『扉』の様なモノに、不用意にも触れてしまったのだ。
あの瞬間、ヤツは全力で『侵入者』であるオレを消そうとしていた。

――やっぱ、あいつ『魔王』だわ……

『名は体を表す』なら【あだ名】は立派に奴の人となりを表していた。

★ ★ ★

青々とした緑に生い茂る小奇麗に手入れされた薔薇の生垣。
その奥にそびえ立つ古めかしい洋館と相まって、
ここに住んでいるのが『あの魔王さま』でなければ、
とっくに笑ってしまう位に『浮世離れしたお屋敷』だった。

放課後、オレは学校から徒歩圏内にある、この『魔王城』へとわざわざ足を運んだ。
漢字で【武藤】と書かれた古めかしい表札が、
いやがおうにも此処が奴の家である現実感に拍車をかけていた。

アウェイな陣地へ無策で乗り込む程、オレだってバカじゃ無い。
今日のオレには、この「魔王城」攻略の秘策があった。

まずは『先制攻撃』のつもりで、目の前の呼び鈴を鳴らした。
ベルのけたたましく鳴る音がデカイ屋敷の室内に歪んだ音で響いている。
しばらく待ってみたが一向に中から返事は無かった。
「誰も出てこないでやんの…」
オレは留守だと思い帰ろうときびすを返したが……
「あれ?」
庭へと続く小道から現れたのは『大きな日傘』
もとい、日傘に隠れる程小さな人影。
「いつもの宅配の人じゃないんだ」
日傘の影からひょっこりと現れたのは、どこぞの『魔王さま』によく似た顔だった。
「おま――」
正直、顔だけなら細かなパーツや輪郭までピタリと重なる程に似ていた。
小柄な身体つき、癖のある髪質やあの瞳の色まで驚くべき一致だ。
ただ、決定的に違うのは『中身』の方だった……
「あ『もう一人のボク』と同じ制服って事は…」
目の前の愛嬌ある武藤のそっくりさんは、
オレが着ている制服を見るや少し緩んだ表情で、
なんだか『ややこしい名称』を口にしていた。

――な、なんだ…『もう一人のボク』って?

「キミは『学校』の人?」
日傘を片手に佇むその姿が『あの魔王さま』と被るのに、
どうにもその内容が面白過ぎて『現実』だと受け入れられない。
「――っ!…ん…あ、ああ…」
オレは余りの『拍子抜けした現実』に、なかば笑い出すのを我慢するのに精一杯だった。

――こりゃ『兄弟』か、なにかか?

しかし『豆もやし』みたいにチビで青っ白い奴だぜ。
こいつと比べれば『いつもの武藤』ですら対比で多少は健康的に見える。
「おまえ男のクセに『日傘』って、ますます青っ白くなるぞ」
いかにも大事そうに日傘を持っているこいつの不健康さに、
オレはちょっとした親切心で言ってやったつもりだった。
「あっ…その…ボク、あまり長く日に浴びれないんだ」
だけど、言われた方からしてみると『オレの余計なお節介』に、
すまなそうな顔をするとより一層小さく萎縮してしまっていた。
「んな、日に当たったからって溶ける訳でもねーだろ!」
オレはおどおどと縮こまるそいつの姿が気に食わなくて、
まずはその邪魔な日傘をひょいと取っ払ったが……
「あっ!?返してくれよー!」
さっきまでの気弱さから比べると思いの外、必死にオレへと食らい付いてきたのだ。
それは本当に『大切なモノ』を取り戻そうと必死になる、ひたむきさのある顔付きだった。

――へぇ〜…体力は無さそうだが、意外と根性はあるんだな。

「お前みたいなヒョロな豆モヤシは、このオレ、城之内克也様が鍛え直してやるぜー!」
「えぇー!?」
案の定、この『大人しい魔王さま』は実に迷惑そうな顔でオレの提案を拒否していたが。
そのイイ反応に意外と叩いても大丈夫そうだと分かると、途端に茶化したくなってくる。
「ほーら、取ってみろよー!」

――等と調子に乗って、目の前のこいつと遊んでいたのが不味かった……

「遊戯、どうし――」
扉の奥から現れたのは、いつもの『恐ろしい方の魔王さま』で……
「…あ…」
つまり、オレは間の悪い状況の真っ最中だった。

――うわっ…ヤベー…

「あ、もう一人のボク――」
あいつの姿が目に入ると『こちらの武藤』も途端にお行儀良く大人しくなってしまった。
「ああ、オレの『客』の様だな…」
オレを見据えるその瞳は口にした『言葉』からは考えられない、凍える様な敵意が含まれていた。
「よ、よう……」
オレはとりあえず、まずはスマートな挨拶をぎこちなく決め込んでみたが……
「なあ『城之内くん』」
『標的』を定めた奴の瞳は、普段の無関心からは考えられない程に生き生きとしていた。

――マジ『くん』とか付けんな、無駄に怖えよ…

その鋭利な眼光から、数刻前の教室での一件が再びオレの脳裏を過ぎった。

しかし、その後に続いた言葉は『意外なモノ』だった……
「そいつは生れつき虚弱なんだ、余り無理はさせるな」
それは自分よりも他人に対する『労わりの言葉』
オレに対してあの武藤が『察してくれ』と頼む姿勢のニュアンスだった。
「わ、悪かったな……」
この気味悪い謙虚さを前にしたら、
自分のしでかした事がいかに不味かったか位オレにだって察しがつく。
「ありがとう…」
あいつはおどおどとオレから日傘を受け取ると、待ちかねた様に早速日傘を差し直していた。
なんで、わざわざオレに『礼』なんて言うんだよ……
こいつ『お人よし』な上に『バカ』なんだろうな。
そんな、いかにもお人よしな反応を前に、
無愛想な『いつもの武藤』は明らかに不機嫌そうにしていたが……

――うわ…余計にあいつの目がヤバイぜ…

「じゃあボク、庭の手入れを続けるね」
「ああ…オレも後で行く」
『二人の武藤』は一言二言手短に会話を交し合うと、
愛嬌のある方の武藤はパタパタと小走りに庭の方へと走っていった。
「あいつ、お前の兄弟か?」
なんてことはない当たり障りの無い日常会話。
「親戚だ」
それが『オレら』でなければ、きっとそうなのだろうな。
「用件はなんだ?」
いかにも手短に済まそうとする単刀直入な会話のやり取り。
むしろ、これ位取り付く島の無い冷淡な対応の方が『いつも通り』で安心する位だ。

――ま、そう来ると思ったぜ。

そう、今日のオレには珍しく『切り札』がある。
「武藤さんに『お届け物』でーす!」
オレは少々ワザとらしく、奴の珍しい『忘れ物』である万年筆を
胸ポケットから颯爽と取り出して見せた。
「――チッ……」
あいつは隠す素振りもせずに、いかにも面倒臭そうに舌打ちをしていた。

――ったく…いきなり舌打ちかよ。

あの騒動の後、教室すみに転がっていた年期の入った黒の万年筆。
こんな古めかしい物を学校で使うのは、年食った教師以外なら武藤くらいだった。
「机に入れれば済む事だろ」
確かに普段ならそう済ませる所だが……
「テメェに恩に着せようと思って、ここまで来たんだ」
これを日頃の劣勢を覆す『チャンス』にしない手はないぜ。
「茶くらい出せよな」
今回、オレはあくまで『善意で届けに来てやった』のだ。
「……わかった」
あいつもオレの魂胆を理解したのか、実に苦々しい了承で玄関の扉を開けた。
オレは主の招き入れに従い、この魔王の居城へと初めて足を踏み入れた。

★ ★ ★

庭先に置かれたテーブルの上に並ぶのは、三つのそれぞれ形が違うティーカップ。
オレと奴の目の前には淹れたての熱い紅茶が並々と注がれていたが、
残された一つは空のままでテーブルの空席の前に添えられていた。
多分、それは『もう一人の武藤』への分なのだろう……

あいつは時折、庭をあっちこっち慌しく行き来する日傘の影の中へと目を配っていた。
「案外『家族』想いなんだな」
きっとこれが『鬼の目にもなんとか』というヤツなのだろう。
「別に……」
当の魔王さまは、オレの『見たままの感想』など歯牙にもかけずにいつもの沈黙を貫いていた。
来る前から分かってはいたが、案の定『会話』らしきモノが発生する筈も無かった。
オレはただ退屈な時間を誤魔化す様に、出された目の前の茶をすすっていた。

――適度に嫌がらせしたら、大人しく帰るか。

そう潮時だと思い始めた頃……

「――ただ……」
「あ?」
あさっての方へと投げ掛ける、誰に聞かせるでも無い言葉。
「オレが『必要』としているだけだ」
いつも以上に素直で飾り気の無い言葉。
多分、道端の石ころにでもこぼす様な『独り言』
ただ、今はオレが『あいつの一番近くに居た石ころ』だっただけだろう。
「だから、優しく出来んだろ」
そんな姿を見たくてわざわざ来た訳では無かったが、
一度知ってしまうとこいつが妙に『人間』に見えて仕方が無い。
「……優しい?」
武藤は眉間に皺寄せ、いかにも不可解そうな顔をしていたが……
正直、オレの方が『珍妙なモノ』見させられて今でも信じられねぇよ。
呆れるほどにこいつはきっとこういう事に関して『バカ』つーか『不器用』なんだろう。
「あの冷淡な魔王様も、こんな意外な一面もあるんだな」
オレは半ば助け舟のつもりで、茶化した軽口を叩いてやった。
「それはあんたらの勝手な思い込みだろ?」
いつもの武藤らしい、切り捨てる様な物言い。
「ま、確かにそうだったみたいだな…」
だが淡々とした言葉端に見え隠れする『本音』は、
冷めてはいたが『いつもの無感情』とは違って見えた。

だからもう少し位、この『ヒマつぶし』を楽しみたい自分が居た。
「茶、もう一杯くれや」
オレは当に空になっていた自分のカップを武藤に分かる様に指差した。
「あんた、いちいち図々しいぜ…」
あえて次を注がず、オレを帰らせようとしていたのだろう。
「図々しいから忘れ物届けてやってんだろ」
だがそんな手にのるほど、オレは『小心者』じゃ無かった。
「……恩着せがましい奴」
武藤は呆れたように溜息を吐きオレを一瞥すると、
まだティーポットに残っていた少し冷めた紅茶をカップへと注いだ。

こいつも思ったより、叩けば響く程度の人間味があったんだな。

★ ★ ★

「ごっそさん」
一杯の紅茶を飲み干すのに、どんなに時間を掛けても高が知れていた。
「じゃ、オレ帰るわ」
オレは空のカップをテーブルへ置くとサッと椅子から立ち上がった。
「見送りはないぜ」
奴は座ったまま立ち去る客へ愛想の無い『別れの言葉』を掛けていた。
「ハハッ!そりゃ、あった方が気味悪いぜ」
オレだって、そんな恐ろしい土産物を受け取りたくは無かった。

あいつは『来客』であるオレがテーブルから離れるのを確認し終えると、
直ぐに庭へあの頼りなげな相方の元へと歩み寄っていた。

――ま、この事は黙っててやるか……

あの魔王様にも『家族』も居れば、へそを曲げる事もあるとわかれば、
少しは可愛げもある様に思えたからだ。
「―ったく、思ったより『面白い設定』あんだな」
オレも『テレビゲーム』に出る様な、
クセのある敵役の『魔王』は結構好きな方だった。

――また、あの『魔王城』へ行って見るか……

日の傾いた薄明るい帰り道。
オレは、次はどういうこじつけであいつの城へ攻め込んでやろうかと考えていた。


>END


BY・こはくもなか


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「命の芳香」の後日談・人間・初期闇様と吸血鬼・表君を
外野の城之内くん視点オンリーで見たW遊戯なお話でした★

普段の立ち振る舞いから『魔王』と呼ばれる浮いた子と
そんな子へ挑む『馬鹿』と書いて『勇者』な子の奇妙な距離感とか
実に青春な『友情のスタートライン』で良いなと思いますw

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