『盲目なキミと目隠しのボク』

【記憶】も【名】も【肉体】も、なに一つ持っていないオレには、
この世に『オレだけのモノ』なんて一つも無い。

――だから……

お前だけが『オレの相棒』で、オレだけの『もう1人』なんだ。
けれど、その笑顔がオレだけに向けられる事は無い。
あいつにとってオレは『もう一人のボク』であり、
皆と同じ大切な『親友』なのだから……
あいつだけの『オレ』は居るのに、オレだけの『お前』が居ないなんて、
何だか酷く理不尽に思えてくる。
その瞳でオレだけを見て欲しい。

――オレと『同じ』ように……

★ ★ ★

カーテンの隙間から差し込む、白く眩しい朝の日差し。
それまでボクを心地良く包み込んでいた眠りは、目覚めの光の前に無残にも取り払われた。
寝ぼけ眼を擦りながら、ボクはモソモソとベッドから這い出すと、
ハッキリとしない意識を目覚めさせるべく洗面台へ向かった。
蛇口を捻り、冷たい水で一気に顔を洗い、起き抜けの身体から睡魔を叩き出す。
荒っぽいやり方に寝ぼけていた意識がハッキリしてくると、
お次は空っぽの胃袋が何とも健康的な悲鳴をあげていた。
「ふわぁ〜…おなかすいたぁ〜…」
空腹を満たすべく朝食を取りに食卓のテーブルに着くと
ママが「今日は珍しく早いのね」とクスクスと笑いながら、
ボクにほかほかの真っ白いご飯とお味噌汁を渡してくれた。
「うっ…なんだよぁ〜…」
ボクは茶化すママに向かって、文句の一つも言おうと思い振り向いたが。

――でも……

声を掛け、直ぐ側に居る筈のママの顔が何だか少し霞んで見えた。

――あれ?…まだ、寝ぼけてるのかな?

ボクは目を擦りながら、もう一度周りを見渡して見たが、
そこにはいつも通りの朝の風景が広がっている。
『いつも通り』の中に紛れ込んだ、微妙な違和感……
けれどボクは、特に気に留める事も無く。
「まあいいか…」と心の中でやり過ごすと朝食を済ませ、
通学用の背負いカバンを持って家を飛び出した。

★ ★ ★

教室に入ると既に杏子や城之内くん達の姿があった。
「おはよう、遊戯!」
杏子の溌剌とした明るい朝の挨拶は、ボクの学校での一服の『清涼剤』だ。
この声を聞くだけで、つい嬉しくてボクは顔が緩んでしまう。
「うん、おはよう!」
だから、ボクも負けない様に元気に笑顔を返した。

――筈だった……

「―…え?」
その時、ボクはその【事実】に気付くと同時に愕然とした。
「アン、ズ……だよね?」
今、ボクは『人の顔が見えない』のだ。

――これって…一体?

音は淀みなく鮮明に聞こえるし、誰の声か聞き分けだって出来る。
周りの景色に至っては黒板の文字の一つまでハッキリと見えるのに、
人の顔だけがぼんやりと霞みがかかり、のっぺりとした顔なしに見えるのだ。
「遊戯どうしたの、顔色が悪いわ?」
いつもだったら見ただけで目が覚める様な杏子の可愛らしい顔が、
今はただ無機質な仮面を貼り付けた様にしか見えない。
「おい、遊戯……マジで平気か?」
ボクに寄り添い心配そうに声を掛けてくれたのは、多分きっと城之内くんだろう。
「だ、大丈夫!なんでもないよ!!」
ボクは咄嗟に『嘘』を吐いていた。
それが『皆の為』なのか『自分の為』なのかは分からない。
ただ、ボクは逃げ出す様に気が付けば教室から飛び出していた。
走って、走って、ただ目の前をがむしゃらに走った。
途中、先生らしき大人の人に怒られたのにも逃げ出して。
ボクが無意識に向かった先は『人の居ない場所』だった。

★ ★ ★

屋上へと続く重い鉄製の扉を押し退け、
新鮮な外の空気に触れるとやっと一息吐く事が出来た気分だった。
「ちょっと、疲れてる…だけ…だよね…」
自分に言い聞かせる言葉に根拠など無い。
けれど、この『現状』を慰めるには十分な言い訳だった。
屋上を吹き抜ける風がこの悪夢を少しでも覚ましてくれる事をボクは微かに期待していた。
「相棒」
その呼び声は風よりも確かに、ボクを『日常』へと引き戻してくれた。
「もう一人のボク!!」

――そうだ、ボクはもう『一人』では無かった。

「よかった、キミに会えて……」
この誰よりも見知った顔に、やっと出会えてボクは心底安堵した。
「どうした?」
動揺するボクに彼はいつもの落ち着いた声音で察してくれていた。
「――わからないんだ……」
グラグラと自分の足元が、世界の全てがふらつく様な不安な眩暈を覚える。
「平気だ…オレが付いてる」
ボクの心の奥底へ静かに染み込むもう一人のボクの声。
「うん…ありがとう、もう一人のボク」
その言葉だけで、ボクは少し勇気が貰えた気がした。

しばらくして動悸は治まったが、まだ教室には戻れそうになかった。
親しい人達だからこそ、あの【消えた顔】を見るのが怖かったからだ……
だから、ボクは『もう少しだけ…』と今残された微かな安堵を噛み締めたくて、
この憎たらしいほど陽気の良い屋上で一人怯える様に膝を抱え、午前の授業を休んでしまった。

★ ★ ★

それは心の奥底にあった、ボクも知らなかった場所。
無限に続く回廊。向かい合わせに存在する全く異なる二つの扉。
一つは禍々しく重い、来る者を拒むかの様な硬く閉じた鉄の扉。
もう一つの無防備に開け放たれた扉の中には、乱雑な無邪気さの見える子供部屋。
ボクらは此処を『心の部屋』と呼んでいた。

ボクは自分の『心の部屋』で、ベッドの上に小さく蹲っていた。
あれからボクは学校に届出を出し、午後の授業を早退した。
これ以上、皆に心配を掛けたく無かったし。
何より『顔の無い友達』を前に、この『恐怖』を抑え付けられる自信が無かった。
そんな自分を案じてくれている友達から逃げ出してしまった微かな罪悪感。
家に帰るとママは少し心配そうにしていたが、
ボクは愛想無く具合が悪いと伝えると直ぐに部屋で休む事にした。

――皆、凄く心配してくれてたな……

「どうした、相棒」
こんなボクの有様にも、もう一人のボクはいつもの涼やかさを纏い、ただ傍らに居てくれた。
「うん、今はここの方が落ち着くんだ」
それでも、もっと閉ざされた場所、ボクは心の中へと逃げ込んでしまったのだ……

――どうして、こんな事に……

「そうか…オレもだ…」
彼からしてみれば、此処がいつもの『定位置』なのだろう。
閉ざされた空間、静かな心の奥底にある自分だけの部屋。
淡く微笑むもう一人のボクを見ていると、此処に居る時間だって悪くない筈なのに……
でも何故だろう、ボクにはその瞳がとても虚ろに感じた。
こんなに近いのに霧の様に深く見通せない、霞の様に掴めないキミの心。

――その時、ボクは気付いたんだ。

この『恐怖』も『焦燥』も『もう一人のボクから見た世界』なのかもしれないと……
知らない場所、見知らぬ人々、不確かな自分。
『わからない』という事の不安や焦りを、ボクはこうなってみて初めて知ったのかも知れない。
たった一人、この世界から取り残された様な孤独感。
「もう一人のボク…」
ボクは直ぐ隣に座っていた彼の方へと手を伸ばした。
「ボクを見て」
何故だか、今の彼がひどく『一人ぼっち』に見えてしまったからだ。

――昔の『ボク』の様に……

「そして、ボクらがいつも見ていた景色を思い出して…」
そっと頬に触れるあいつの掌からは、オレに対する『哀れみ』と『痛み』が滲み出ていた。
「―気付いたのか…」
嘘の吐けないお前の、その言葉を疑っている訳ではない。
「…うん…」
あいつはこの『ゲーム』の首謀者が、オレである事を見抜いた事実。
そこにはオレ達の確かな繋がりの『証』だという喜びと苦い甘さがあった。
「キミはいつも、こんな怖い世界に居たんだね」
『怒り』とも『悲しみ』ともつかない重く滲んだ瞳が、ただオレを見つめていた。
「ああ…」
あいつを傷付けた事は言うまでも無かった……
オレ達は常に『嘘の吐けない距離』に居る。
「相棒と見る景色はいつだって穏やかだった」
もし『真実』だけがオレ達を結んでいるのなら、今は本心を明かす他なかった。
「お前にとって親しみのある友や家族。お前の『日常』そのものだ」
『武藤遊戯』を通して見る世界。
「でも、その景色の中にオレだけの景色は何一つ無い」
でも、それは『オレの居る世界』では無い。
「オレはお前が居るから、この世界が認識出来る」
この厳格な【ルール】こそが、オレの『実在根拠』だ。
「お前がオレを見てくれるから、オレは自分が此処に居ると実感出来る」
オレの『現実』は何処でもない、遊戯の中にしかなかった。
「だから、オレはずっとお前の瞳に居たかった…」
オレは『ずっと』を手に入れる為に、お前の瞳を『闇』で覆い歪ませていたのだ。
「お前だけは、オレが此処に居る事を知っていて欲しかった」
不確かな存在である自分に、今まで『不満』も『興味』も無かった。
『オレ』は何があっても『お前』である筈だったのだから。

――あの時まで……

決闘者王国でペガサスが語った。
『千年アイテムに秘められた謎』
自分が『武藤遊戯』では無いかもしれないという『疑念』
心当たり等、罰した数だけ無数にあった……
「ボク、前にもキミに言ったよね『キミが何者かなんて、どうでもいい』って…」
その『言葉』が今の『オレ』を支える唯一つ『存在理由』だったのに……
「今、キミがボクの目の前に居て、キミが『ボクの大切な存在』だって事は変わらないよ」
その『大切な存在』が『大事な半身』を傷付けたりするだろうか?
「確かに『キミだけの景色』は、ここには何一つ無いかもしれない……」
あいつも分かっている。
オレの存在になんの『確証』など無い事を……

――オレ自身すら疑っているモノを、どうしてお前が信じられる?

相手に気持ちを伝える事は、いつだって難しいな。
「でもね、『キミ』と『ボク』」
【もう一人のボク】なら黙っていても伝わるかもしれない。

――けど、ボクは『キミ』と話したいんだ。

ボクは拙い言葉を補う様に、少し冷たい彼の掌を両手でそっと包み込んだ。
「ボクらが『二人で見た景色』はもう沢山あるよ」
それはボクらにとって『かけがえのない想い出』でもあり『苦難の道程』でもあった。
「キミがボクらと一緒に居たっていう記憶だって」
ボクが知っている確かな事。
それを彼に分けてあげられたらいいのに。
「キミが誰なのか、キミだけのモノを、ボクが探してあげる事は出来ないかもしれないけど…」
ボクらはまだ何も『真実』を知らないかもしれない。

――それでも……

寡黙なキミの見失いそうな程に透明だった声に、ボクだって応えたい。
弱虫なボクの言葉に出来なかった想いや怒りに、キミが応えてくれた様に。
「でもね、これから皆で『キミの居る場所』を作っていけるよ」
『境界線』を越えたがらないキミがしたのは、ボクを此処へと引き寄せる事だった。
なら今度はボクがキミを『ボクらの居る場所』へ連れて行けば良いんだ。
「だが、それは『お前の居場所』じゃないか…」
いつも憧れていたもう一人のボクの自信に満ちた不敵な瞳は、
今はただ気まずさにボクから視線をそらしていた。

そう『武藤遊戯の影』であるオレにとって
『オレの居場所』とは、本来『相棒が居るべき場所』なんだ。
「もう一人のボク…苦しい時、辛い時に一緒に居るのが本当の『友達』なんだよ」
そういうとあいつは『言葉』以上の温かな強さで、
オレの手をギュっと離さない様に握り締めていた。
「ボクね…キミと同じになってみて、本当に凄く怖かったんだ」
オレへと懸命に語り掛ける穏やかな声。
けれど触れ合ったあいつの心はまだ微かに怯え震えていた。
「人の顔がわからないだけで、自分の見るもの全てが急に知らないモノみたいで」
お前の『恐怖』は傍に居たオレが一番よく理解している。
「凄く…怖かった……」
そして、その『恐怖』を植え付けたのは、他ならぬ『オレ自身』だ。

――それなのに……

「だから、キミが『怖い』と感じるなら、ボクがずっと側に居るから」
お前はいつも『自分の痛み』を防ぐ事よりも『相手の痛み』を救おうとする。
それは『救う事』も『救われる事』も知らなかったオレを止めてくれた。

――また、助けられたな……

――大丈夫、ボクはもう知っているんだ…

「わからないなら、少しずつ知っていこうよ…」
一見、完璧な様に見える『もう一人のボク』も、
ボクらと同じ様な『弱さ』だって持っているという事を。
「ううん、ボクはキミに知って欲しいんだ」
『器用なキミ』も『不器用なボク』も『なんでも』なんて出来ないよ。
「ボクが好きな、この場所を……」

――だから、ボクらは『パートナー』になったんだ。

その微笑にどんな『強さ』を秘めていたのだろう。
「…相棒…」
あいつの『言葉』に込められていた様々な想い。
その『想い』をオレは本当に何処まで理解している?
「きっと、キミも直ぐに気に入るよ」
この『言葉』に何の根拠も無い筈なのに、こんなにも信じてみたいと思ってしまう。
「ああ、そうだな…」

――オレは忘れていた……

「お前が好きな場所だからな」
お前を『信じる理由』なんて、こんなにも単純なモノだった事を……

★ ★ ★

『心の部屋』を出て、最初にした事といえば……
遊戯の瞳にかけていた『闇』を拭い去る事だった。
「もういいぜ」
「う、うん…ありがとう」
あいつは恐る恐る不安げに目蓋を開くと確かめる様に周りを見渡していた。
生憎今この部屋は一人きりだ『オレ』以外見比べる相手が居ない事を申し訳なく思う。

――『ありがとう』か……

その『感謝の言葉』をオレが受け取って良い筈が無い。
「すまなかった……」
だがやっとの想いで形に出来たのは、素っ気無いほど飾り気のない謝罪の言葉。
【千年パズル】に封じられし『邪悪なる意思』
確かに、このオレを『邪悪』以外に何と言えるのだろうか。
『悪』ならば、全て裁けばいいと思っていた。

――でも、今は……

触れられぬオレの手に、あいつはそっと心を寄り添うように手を伸ばしていた。
オレはあいつの柔らかな『思いやり』に救われると同時に、
自分が知らぬ間に求めているモノを見透かされた様で気恥ずかしかった。

「辛い時は「辛い」ってボクにも言ってね、もう一人のボク」
それが今のボクに出来る事の精一杯だから。
ボクに出来る事があるのだとしたら、せめてそれだけでもしてあげたい。
「ああ、お前はオレの『相棒』だったな」
キミは少しぎこちない笑みで、ボクを『相棒』と言ってくれた。
「うん、そうだよ!」
その微笑にボクは少しだけ自分の『いつも』を取り戻せた気がしたんだ。
「もう一人のボク。ボク、あの時『もし、キミまで見えなくなったら』ってそう思ったら凄く怖かった…」
やっと出会えた大切な『もう一つの心』
ボクを認め信じてくれた『大切な友達』

――嬉しかった、すごく……

「だから最初にキミの顔が見られた時、ボクすごくホッとしたんだ」

こうなった原因がもう一人のボクだとしても、可笑しな話かも知れないが、
それでもボクは彼がずっと傍に居てくれた事が嬉しかった。
「相棒…」
そんなボクに彼は少々驚きを隠せない様だったが、
ボクだってこんな自分のお人よし加減には呆れている。

――けど……

「ボクはキミに出会えて本当に良かった」
この嬉しかった出来事を、ボクは『なにも無い』だなんて思えない。
「こうやって、二人で話せる様になって良かったって」
キミと話せる様になったからこそ、ボクはキミの力になれるんだ。
「二人ならキミと一緒なら、ボクね…どんな事でも、きっと大丈夫だって思えるんだ」
それは【もう一人の自分】に対する楽観的な『憶測』でも、期待に甘えた『希望』でもない。
「ボク一人なら諦めそうな事でもさ、キミが一緒ならなんとかなるかもって!」
それは今まで共に過ごしてきた【もう一人のボク】との『経験』から来る、純粋な『確信』だった。
「ふと気が付くとさ…ボクっていつもキミを頼りにしているんだなって」
ボクはきっと無意識の内に『キミの強さ』に甘えているのだろう。
でも、それ以上にボクはキミを『信じている』と伝えたいから……
「だから、キミもボクを頼ってよ!」
身の丈に合わない見栄を張ったセリフだと十分分かっている。
現にもう一人のボクだって、こんな虚勢を張ったボクを意外そうな目で確かめている。

――うぅ…わかってるよ『強気なボク』なんて『らしくない』事くらい。

「だってでないと、ボクだけがキミに甘えてるみたいで」
それでも『男』には見栄を張らなきゃいけない時がある事くらいボクだってわかるから。
「キミの『相棒』としてはさ、ちょっと格好悪いかなって」
いつもキミが持っていた『強気な優しさ』に、ボクだって少しでも近づきたいんだ。

――『こんな形』でお前に励まされるとはな……

本当にお前がどれだけオレを見ていたか、十分な程分かる『強さ』だった。
「ああ、いつも頼りにしてるぜ」
そうだ、オレ達はもう『一方通行』じゃない。
「もう一人のオレ」
オレ達は『一心同体』ではなかった。
そう『全く違う者同士』なんだ。
違うからこそ『あいつがオレから離れるかもしれない』という、
いままで知らなかった新しい『恐怖』がオレの中で生まれたんだ。
それでもあいつは恐れながらもオレを知ろうとしてくれた。

信じてみよう『相棒』を、そして『あいつが信じてくれたオレ自身』を。
例え、オレの存在が『闇』だとしても。
この穏やかな『光』に寄り添い、途切れる事の無い『影』で居られるように。

ただオレは『お前の友』で『もう一人のお前』で居られるなら、
きっと自分が誰かなんてかまわないのだから。



>END



>BY・こはくもなか



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