『太陽の花』

アスファルトの照り返しに、
じわじわと命まで削られる様な酷暑。
今年もまた日が沈む夕暮れまで、
人ですら太陽の熱を避け過ごすのに、
好き好んで容赦ない夏の日差しの下へ歩み出すのは、
まだ無邪気な子供達くらいだ。
だが、そんな子供の様なヤツに オレは一人心当たりがあった。

★ ★ ★

帰宅後、遊戯はオレの姿を見るや傍に置いていた 長袖の上着を羽織った。
「見せてみろ」
オレは間髪入れず詰め寄ると 『もう一人のオレ』の腕を掴んだ。
「い、いいよっ!」
必死に誤魔化そうとするあいつを無視し、 強引に袖を巻くり上げる。
現れたのは白い肌に染み出した赤い火傷の様な爛れた痕。
「また…昼間、庭に出たな……」
それは、つい最近も『見覚えのある傷』だった。
「―あっ…」
あいつはいかにもバツが悪そうにしているが……
「外に出るのは『オレが居る時』と『日が沈んでから』だと約束した筈だぜ?」
こんな子供に言い聞かせる様な小言をオレに言わせる、お前が悪い。
「ゴメン……」
あいつは申し訳無さそうに、
弱弱しく眉根を下げると目線を逸らそうとしていた。
「相変わらず、命知らずな【吸血鬼】だな」
その『今さらな態度』は、 オレを余計に苛立たせただけだったが…
「―うっ……」
そんな針のむしろに耐えかねてか、
あいつはますます居心地の悪さに縮こまっていた。

もう一人のボクは呆れた様に溜息を零すと、
汗で湿った白いシャツを無造作に床へ脱ぎ捨てた。
「嫌とは言わせないぜ」
それは、もっとも迅速に傷を癒す為に必要な事。
「――二、三日したら治るのに……」
この位なら放っておいても平気なのに……
「後二日も待たせるのか?」
棘のある不機嫌な声色、それ以上に鋭さを増す真紅の瞳。
「……わ、わかったよ……」
今、彼がひどく怒っている事だけは 十分過ぎる程理解できた。
「無理に…しなくて、いいんだよ?」
この行為に、ボクはまだ躊躇いがあったが……
「……早く、してくれないか」
『言い訳』をする時間すら、どうやらボクには与えられてはいないらしい。
「は、はい…―」
急かす様に言い切られてしまえば、 ボクはそんなキミに従うほか無かった。

『飢え』に駆られた【吸血】ではない。
なら、今のボクでも『理性』は保てる。

だから、ボクはまたほんの少し彼の『命』を分けて貰った。

――やっぱり、すごく…良い匂い……

それはくらくらと眩暈を起こしそうな程、 濃く芳醇な命の香り。

気を抜けば直ぐにでも魅了されてしまいそうだ……

瑞々しい肉体から溢れる血液。
その覇気に満ちた精気がボクの全身に染み渡る。

もう一人のボクがその身に宿し、
月日を掛け守り育んできた、気高き魂の味。

ぬるく曖昧な自分が、 その『極上の誘惑』を拒めるワケが無かった。

このほんの数分の逢瀬に、身も心も蕩けそうで……

だからボクは微かな理性を振り絞って、
彼の首筋から未練がましい己の牙を引き抜いた。

「ご、ご馳走様でした……」
ボクはこんな意地汚い自分が恥ずかしくて、
まだ血と唾液で濡れている口元を慌てて拭い隠すと、
もう一人のボクから飛び退ける様に身を離した。
「フッ…今日は随分行儀が良いんだな」
妙に満足げな笑みでボクをからかう彼を見ていると、
まるでこの行為すら『罰ゲーム』の様に思えてしまう……

彼は脱いだシャツを拾い上げると、
少し気だるげにシャワーを浴びに部屋から出て行ってしまった。

ボクはそんなもう一人のボクの後姿を、
ぼんやりとリビングのソファーから見送っていた。

一度『血』に酔ってしまえば、 自分はやはり【吸血鬼】なんだ。

『血』を拒む為に 大好きな『花』の『命』を貰う様になったのに、
それでもボクはどうしても『血』に惹かれてしまう。
「…言えないよ…」
一人きりだからこそ、止めたい想いが 『言葉』になって溢れてしまう。

――キミの血が『美味しい』だなんて……

それから数時間もしない内に、
赤く爛れていたボクの皮膚は元の白さを取り戻していた。

――こうも素直な身体だと、嘘一つ吐けないな〜……

★ ★ ★

「傷は、もう良いみたいだな」
すっかり綺麗になった傷跡を確かめると、 彼の怒りも大分和らいでくれた。
「うん、もう平気だよ」
ボクは唯一自慢の体質を誇って見せようとしたが……
「………」
冷え冷えとボクへと向けられる彼の視線が痛い。
「ゴメン、調子に乗って…」
いくら本来の【力】を取り戻したとはいえ、
それでも『日光』が夜を生きるボクにとって 『毒』である事には変わらない。
「ハメ外し過ぎだぜ」
「―…はい…」
こうなるともうボクに立つ瀬はない。
「『食事』を取る様になったと思えば、今度は『昼遊び』かよ……」
もう一人のボクは心底あきれた様に 深い溜息を吐いていた。
「『遊び』じゃなくて、どうしても見てみたかったんだ」
たしかに彼からみれば『遊び』かもしれない……
「何をだ?」
ボクの望みはキミにとって『ありふれたモノ』だから。

「ヒマワリ」
「向日葵?」
それは『夏』に咲く花の名前。
「庭のヒマワリが見たかったんだ」
『太陽』を追い続ける向日葵。
「なら『夜』見れば済むだろ?」
その花に惹かれたのは『必然』かもしれない。
「でも…―」
だが、あいつが陽を追う事をよしとは出来ない。
「もう一人のオレ」
お前がどんなに焦がれても……
「もし、お前が死ぬ時はオレが見届けてやる」
あれはお前にとって『毒』なんだ。
「だから……」
毒をあおるなら、せめてオレの居る時にしてくれ。
「もう…一人で無茶をするな」
『お前の願い』は知っている……
「…もう一人のボク…」
オレは『遊戯』がどんなに歪だとしても愛しいのだ。
「どうしても日の下に出るなら、その時はオレも一緒だ」
たとえ叶えられなくとも、オレがお前を見届けてやる。

――最後まで……

――どうして、ボクの我が侭に付き合ってくれるの?

「キミは…――」
ボクらはこんなに違うのに『もう一人』じゃないのに……
「だがオレは、お前を太陽にくれてやるつもりは無いぜ」
けど、ボクに触れる彼の掌は言葉以上の熱が篭っていた。
「うん、ボクもまだ『此処に居たい』から気をつけるよ」
時に冷淡にも見えてしまうキミの内に秘めた熱い想い。
その熱がボクの心を温め『生』に我が侭にする。
「日光に弱いのは分かった、何か『対策』しないとな」
その『妥協案』は、とても温情に満ちたものだった。
「い、いいの?」
ボクはつい聞き返してしまったが……
「勝手に動き回られるよりマシだろ?」
それはとてもぬるく、苦笑交じりの彼の本音。
「あ、そうだね……」
この現状を変えたいからこその『改善策』なのだ。

うん、もう一人で無理はしない。
無茶はキミと相談してからにするよ。

――『約束』だ……

★ ★ ★

学校からの帰り、オレはあいつとの約束の為に店に入った。
勿論、太陽を避ける『日傘』を探す為だ。
探すと言っても役割を考えると
『見た目』よりも『機能』で選ぶ事になった。

店員が差し出したのは真っ白な日傘。
だが開いて見ると、 その内側は光を吸い尽くした様に真っ黒だった。
「これ、貰うぜ」
進められるままに手に取った傘は、 妙に『あいつ』に似ていた。

――陽に焦がれる『吸血鬼』の姿に……

★ ★ ★

ドアが開く軋んだ音が静かだった室内に響く。
「お帰り、もう一人のボク!」
「…ああ…」
帰宅一番、彼から手渡されたのは『白い傘』だった。
「お前のだ」
いつも通り、短く簡素な応え。
「本当に、探して来てくれたんだ……」
あんな昨日、今日の出来事で……
「当たり前だろ」
どう考えても『当然』じゃない『優しさ』
「どうした?」
「―…あ、あ……」
ボクはどう応えていいか分からなかった。
「ん?」
ただ惚けるだけのボクに、彼はいぶかしげな顔をしていたけど。
「ありがとう!!」
やっとの思いで声に出来たのは、この一言で……
「大事に、するよ……」
ただ嬉しくて気持ちが勝手に溢れてしまう。
「―…絶対……」
この『キミの想い』にボクは裏切りたくない。
「『傘』より『命』の方を大事にしてくれよな」
「ハハ、そうだよね」
そう釘を刺す『キミの優しさ』が、 今のボクには少しくすぐったい位だった。

★ ★ ★

地上を激しく熱していた夏の日も沈み、
庭には一時の穏やかさをもたらす夜が訪れていた。

「ボクさ……」
「ん?」
ただ夜に咲く花々を見ていたら、
不思議と『あの時』応えられなかった言葉を見つける事が出来た。
「あの花の生きてる姿が見たかったんだ……」
『ボクが生きられない世界』に生きる、 あの花の咲き誇る姿を一瞬でもいい心に刻みたかった。

「確かに『昼』と『夜』じゃ大分違うな」
【太陽】と【月】
それぞれが照らし出す、同じ筈の『世界』は こんなにも違う姿をしているのだ。
太陽に焦がれる吸血鬼が『昼』へと好奇心を抱いてしまうのは仕方が無い事かもしれない。

――それでも……

「お前は『夜の向日葵』を知っている、それでいいんじゃないか?」
全てを知ろうと思わずに、ただ目の前の事だけで満足出来ないのだろうか?
いや、既に『満足出来ない』からこそ『昼間の奇行』を止められないのだ。

『純粋』故に『貪欲』だとは思っていたが、
まさかここまでだったとは……

今に始まった事ではない 『あいつの願い』はいつも我が侭だ。
他人を傷付けたく無いのに、自分も傷付きたくない。
自分は容易に【日光】という『死』に触れるというのに、
オレには【吸血】という『治癒』行為すら極力遠ざけようとする。
【花】という『新しい食事』の形を自ら受け入れたとしても、
その『望み』の本質は今も変わらない。

――本当に甘く、身勝手な奴……

「わ、笑うなよ……」
ボクとしては、これは『笑われたくない事』だった。
「内容次第だな」
特に『キミだけ』に、だけど。
「ボク、キミが見る昼のヒマワリを知りたかったんだ」
それは無いものねだりの『憧れ』だけじゃない。

――ただ『キミと同じモノ』が見たかっただけなんだ……

こいつが太陽へ焦がれたのは、 『オレの所為』でもあったのだ。
「どうしたの、もう一人のボク?」
「いや……」
諦めていたあいつに『希望』を持たせたのは他でもない。

――なら……

「オレは『昼』を生きる、お前はオレの代わりに『夜』を生きればいい」
これからはお前の分まで憶えて置こう、この世界の景色を。
「お前とならもっとこの『世界』が見られる」
この『記憶』をお前へと伝えよう……
「うん、そうだね……」
全て分かち合う事は出来なくとも、 分け合う事が出来るなら。

きっとオレ達は出会った意味があるのだろう……

★ ★ ★

――夜が更ける、キミとの時間が離れていく……

「キミはもう寝る時間だろ?」
「ああ、そうだな…」
学生である彼の一日と日が昇ると共に眠るボクとは真逆の生活リズムなのだ。
「おやすみ、もう一人のボク」
だからせめて穏やかな眠りをと言葉をかける。
「ああ、またな。もう一人のオレ」
その小さな別れと共にボクは一人庭へと残された。

ずっと続いていた、一人きりの夜。

――でも……

もうボクは『一人』だけど
『一人ぼっち』じゃない時間を過ごしているんだ。

朝、彼が起きたらボクが見た『夜の世界』の話をしよう。
もしかしたら、ちょっと退屈かもしれないけど、
それでもボクはキミに『ボクが見た世界』を伝えたいから。

――早く起きないかな、もう一人のボク。

『朝』を待ち望むのが、こんなにも楽しみなんだ。

例え『毒』だとしても、
やっぱりボクは『太陽』が大好きだった。



>FIN



>BY・こはくもなか


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